細野正文の手記原文を分かりやすく。タイタニック号での行動やその後について。

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タイタニック号唯一の日本人であり、そして生存者である細野正文さん

細野正文さんは、タイタニック号でご自身が体験したことを手記として残されているのをご存じでしょうか?

 

 

その手記には、タイタニック号が沈没する前から沈没後のことや、自分が救助船に乗った行動や経緯などが、詳細に、そしてご自分の心情とともに書かれています。

 

 

本記事では、まず細野正文さんが書いた手記の全文が読める場所をご紹介。

そして、意を決意して救助ボートに乗り込んだその行動を、原文とその訳と共にお伝えします。

タイタニック号から生還してからのその後についても書いていますよ^^

 

 

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細野正文さんのタイタニック号での手記全文が読める場所

原文の全部を読むのには、National Geographicの2012年4月号「タイタニック 沈没の真実」が、一番良いと思います。

 

 

National Geographicの2012年4月号「タイタニック 沈没の真実」

タイタニック 沈没の真実
「不沈船」と呼ばれた豪華客船タイタニックが、大西洋に沈んでから100年。最新技術によって、沈没現場の全貌と、船の壮絶な最期が浮かび上がってきた。

 

 

このページの手記原文ですが、明治時代のものでもあり、カタカナ&漢字の文章で非常に読みにくいです。(笑

 

 

以下、細野正文さんが救助ボートに乗る前後の手記にスポットをあて、その行動について原文&訳とともにお届けします。

 

 

訳は意訳になりますので、細かい文法上の間違いがあってもご理解下さい。

 

 

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細野正文さんのタイタニック号での行動

ここでは、「細野正文さんが事故を知って」「救助ボートに乗る前の様子」「救助ボートに乗るまさにその時」の3部に分けました。

 

それでは、順番に見ていきましょう。

 

 

細野正文さん手記;事故を知って

タイタニック号の事故が、非常に大きな事故であることを知った細野正文さんは、

生命モ本日ニテ終ルコトト覚悟シ別ニアワテズ、日本人ノ恥ニナルマジキト心掛ケツツ尚機会ヲ待チツツアリ。

    引用;National Geographic 2012年4月号; https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120323/303232/?P=10 

とあります。

 

 

「命も今日で終わることとと覚悟したが特に慌てず、日本人の恥になってはならない、と心がけながらも、そのうえで、今まさに機会を待っている。」

 

 

とあります。「日本人の恥になってはならない」とうくだりが、そのころの日本人の生き方を示しているように思います。

 

細野正文さん手記;救助ボートに乗る前

その後の様子、上記から続きます。

船客ハ流石ニ一人トシテ叫ブモノモナク皆落付キ居レルハ感ズベシ。ボートニハ婦人連ヲ最先ニ乗ス。其数多キ故右舷ノボート四隻ハ婦人丈ニテ満員ニ形ナリ。其間男子モ乗ラントアセルモノ多数ナリシモ、船員之ヲ拒ミ短銃ヲ擬ス。此時船ハ四十五度ニ傾キツツアリ。

引用;National Geographic 2012年4月号; https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120323/303232/?P=10 

「船のお客は一人も叫ぶものもいず、みんな落ち着いているようだった。

ボートには婦人方(と子供)を最も先に乗せていた。

婦人方の数は多かったので、右舷のボート4隻は全部ご婦人で満員になった。

その間、男性も乗ろうとあせるものがたくさんいたが、船員はこれを拒んで短銃を突き付けた。

この時船は45度に傾いていた。」

 

 

と記されています。

想像しただけでとても怖いですね・・・

 

 

細野正文さん手記;救助ボートに乗るまさにその時

ご婦人が乗った後。

上記からさらに続きます。

 

是後ボートモ乗セ終リ既ニ下ルコト数尺、時ニ指揮員人数ヲ数ヘ今二人ト叫ブ其声ト共ニ一男子飛ビ込ム。余ハ最早船ト運命ヲ共ニスルノ外ナク最愛ノ妻子ヲ見ルコトモ出来ザルコトカト覚悟シツツ凄想ノ思ヒニ耽リシニ今一人ノ飛ブヲ見テ責メテ此ノ機ニテモト短銃モ打ルル覚悟ニテ数尺ノ下ナル船ニ飛ビ込ム。

 

引用;National Geographic 2012年4月号;

 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120323/303232/?P=11

「この後ボートに(ご婦人を)乗せ終わり、もうすでにボートが数尺ほど降りた時、指揮員が人数を数えて、「もう2人入れる!」と叫んだその声と同時に男性が飛び込んだ。

私はもう船と運命を共にする以外なく、最愛の妻と子にもう会えないと覚悟をしながら、悲しい思いにひたっていた時、一人が飛ぶのを見て『せめてこの機会に』、と短銃に打たれる覚悟で、数尺下のボートに飛び込んだ。」

 

 

瞬間的な判断だったのですね。

「短銃に打たれる覚悟で」というところが、死をも決した覚悟だったことがうかがえます。

 

 

細野正文さん手記;救出から帰途まで

手記には、ボートが離れてからの海域の様子(沈んでいく方々最期の悲鳴や、夫を思ってボート内でなく婦人たちの鳴きなど)や救出、帰途までの気持ちが様子がつづられています。

 

この記事ではふれませんが、非常に端的に、しかし、心情が伝わる描写になっており、その場面がうかがわれる文でした。

 

 

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細野正文さんは日本に帰国後非難を受ける

細野正文さんは帰国後、「たくさんの方が犠牲になったのにおめおめと生きて帰ってきた」「他人を押しのけて生まで生き残った」と非難にあいました。

 

 

当時は、明治の末期から大正初めにかけての時代。

「日本人の生きざま」についてテンプレートが存在した時代です。

それに反したと写ってしまったのでしょう。

1916年、新渡戸稲造の執筆した「義勇青年」の中で、「タイタニックでは女・子どもが優先なのに『マンマと一命全うした』日本人がいる」という記述があります。

 

 

また、「救命ボートに乗るのは婦女子が優先」というルールも、この非難に拍車をかけたようです。

実際、このルールのため、タイタニック号で生き残った男性は非常に少なかったのです。

 

 

 

実際、細野正文さんは、手記から分かるとおり、他人を押しのけてボート乗ったわけではありません。

タイミングと決死の覚悟が重なったとっさの行動で生き残ったのが手記からうかがえます。

 

 

しかし、細野正文さんは、そのことに対して一言も世間に反論しませんでした。

このことが理由であるかどうかは分かりませんが、細野正文さんは鉄道員の要職を解かれています。

 

細野正文さんの名誉回復へ

非難は戦後まで続き、ご遺族もかなりご苦労されたようです。

しかし、1997年のジェームズ・キャメロン監督の映画『タイタニック』によって、これが覆ります。

 

 

当時この映画公開の話題づくりもかねて、タイタニック財団が様々な調査を行いました。

その調査の中に細野さんの手記もありました。

当時細野さんが乗っていた救助ボートの番号や様々な人の証言や記録を照らし合わせ、様々なことが明るみになりました。

 

 

その結果、「細野さんの行動は非難にまったく値しない」ということが証明されたのです。

 

 

ご遺族の細野晴臣さん(ミュージシャン、Y.M.O.のメンバー)は、「ああ、これで終わった」と親族一同でお祝いした、と述べられています。

 

 

まとめ

当時の時代の風潮もあるかもしれませんが、惨事から生き残った方を責めることが私にはよく理解ができませんでした。

 

 

こういう時も人間はなにかした理由を見つけて叩きたいものなのかもしれませんね。

 

 

特に細野さんの場合は責められる行動があったわけでもありませんし、非難されるべきではないとわかって本当によかったと思います。

(ご本人が亡くなってからの解決だったのが、いたたまれませんが・・・)

 

 

私は惨事の時どういった行動がとれるか?あらためて考えさせられました^^;

 

 

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