ゲド戦記原作と映画の違いを登場人物の設定や結末などから説明します!

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ジブリ映画「ゲド戦記」は、ル=グゥイン原作の「ゲド戦記」とかなり内容が違うことで知られています。

 

あまりに違うため、原作者のル=グゥインが怒ったとか怒らなかったとか・・・

私も原作は全部持って読んでいますが・・・

確かに登場人物の設定も、おそらくストーリーを通して伝えたいことも全然違うんですよね。

 

本記事では、「ゲド戦記」に関して、ジブリ映画と原作の違いを、登場人物の設定や、結末などからご紹介していきます。

原作のゲド戦記の設定を、映画をみる時に参考にして頂ければ幸いです^^

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ゲド戦記原作と映画の「登場人物の年齢」の違い

映画では、アレン(まことの名=レバンネン)とテルー(まことの名=レバンネン)の年は同じぐらいに設定されています。

が、原作では違います。

 

テルーが6、7才のころ、おそらくアレンは10代後半です。

原作で、テナーがテルーをつれてアレンの船に乗るシーンがあります。

この時テルーは6、7才です。

若者(アレンのこと)はごく若かった。

息子のヒバナよりずっと若かった。

まだ、二十歳にもなってはいまい。

~ル=グゥィン, ゲド戦Ⅳ巻「帰還」,p218,岩波書店~

※ヒバナはテナーの息子。テナーはハイタカとは別の人と結婚していました。

 

10歳以上の年の差が、テルーとアレンの間にはありそうです。

 

ハイタカとテナーの年齢はどうでしょうか?

原作で2人が初めて出会ったのは、テナーが15才の時。

ハイタカは、話の流れからおそらくですが、その時20代後半かと思われます。(記述がない。)

こちらも10歳くらいの年の差ではないか、というのが私の予想です。

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ゲド戦記原作と映画の「アレンと父の関係」の違い

ゲド戦記映画冒頭で、アレンは自分の父親を剣で刺し殺します。

映画のセリフで「父は立派な人だった。ダメなのは僕の方さ。」と言っていることから、尊敬できる父親に対して何か屈折した思いをいだいていたのだと考えられます。

 

この「父殺し」の部分、原作者ル=グウィンが最も怒ったともいわれているところですが・・・

 

原作のアレンは、王である父を尊敬する、正義感が強く素直な少年です。

もちろん、怒ったり悲しんだりという感情の振れ幅はありますが、それは普通の少年では当たり前のこと。

自分の親を消そうするような、暗い、しかし激しい気持ちは、原作にはありません。

 

この「父を刺す」という表現は、のちに出てくるアレンの「影」を象徴するような出来事として、宮崎吾郎監督があえてストーリーを変えたのではないか、と思っています。

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ゲド戦記原作と映画の「影とのたたかい」の違い

ジブリ映画では、アレンは自分の心の闇の部分を「影」として自分で生み出します。

そして、その「影」に追われ、苦しみます。

 

しかし、原作では「影」に追われるのはハイタカ(ゲド)です。

ハイタカは、ある経緯から「影」を魔法で呼び出し、その影に追われることになります。

その経緯については、ハイタカの過去について述べた別記事でまとめてあります。

興味のある方はご覧ください^^

 

「影」は呼び出したハイタカに入り込み、ハイタカをあやつり人形にし、世の中に災いをもたらそうとしている邪悪なもの。

ハイタカは呼び出したその責任をとろうと、「影」を追うことになります。

これが、ハイタカの最初の話、原作「ゲド戦記Ⅰ巻 影とのたたかい」です。

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アレンは影から逃げるばかりですが、ハイタカは立ち向かおうとするところ、ここも原作と映画の違うところです。

ゲド戦記原作と映画の「クモとのかかわり」の違い

映画では、クモがハイタカとテナーを捕まえ、アレンとテルーが助けに行きます。

 

しかし、原作では、まず、クモが出てくる巻にテナー、テルーは出てきません。

クモを追うのは、ハイタカと、ハイタカに付き従うことになったアレン。

その様子は、原作「ゲド戦記Ⅲ巻 さいはての島へ」に描かれており、この巻すべてがクモを追うお話となっています。

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ハイタカとクモの因縁、クモの過去については、別記事でまとめてあります。

興味のある方はそちらをご覧ください^^

 

また、ハイタカとテナーが捕まってしまう話は、原作「ゲド戦記Ⅳ巻 帰還」の最後の部分。

原作「ゲド戦記Ⅳ巻 帰還」はテナーとテルー、そして、魔法の力をすべて使い果たし大賢人でなくなったハイタカが話の中心です。

アレンはほとんど出てこず、「帰還」の中心にかかわることはありません。

 

すなわち、「クモのお話(ハイタカ、アレン、クモが関わる)」と「ハイタカとテナーが危機におちいるお話(ハイタカ、テナー、テルーが関わる)」、それは原作では全く別のものになっています。

 

映画で「クモ」の話をもってきた理由、それは、「命や生、こころの光に対する人間の執着」のようなものを監督が描きたかったのかな、と思っています。

ただ、ゲド戦記において、テルーもテナーも重要人物。

そこで、二つのお話をがっちゃんこし、テルーを「アレンを支える」キャラクターにし、あのような作り方になったのかな・・・と私は思っています。

ゲド戦記原作と映画の「結末」の違い

映画では、クモは竜となったテルーに焼き殺され、ハイタカとテナーは助かり、アレンとハイタカは再び旅立ちます。

 

映画のラストを「話の終わり」とするならば、まずこれは、原作「ゲド戦記Ⅳ巻 帰還」に近いラストになるわけですが・・・

「帰還」には先ほども書いたように「クモ」「アレン」は出てきません。

 

原作では、ハイタカとテナーは、二人を心よく思わない別の魔法使いにとらわれています。

「帰還」では、テナーを高いところから突き落とすよう、その魔法使いからハイタカが指示されます。(ここも映画と違いますね!映画では逆です。)

そこを助けに来たのは、テルーではなく、テルーの親、竜のカレシンです。

テルーが竜になって助けにきたわけではないのです。

カレシンによって、この魔法使いとその手下は焼き尽くされてしまいます。

 

また原作では、ハイタカとテナーの危機が去ったのち、ハイタカはテナーとテルーのいる農園にとどまります。

アレンは「帰還」にはほとんど出てこないので、アレンと旅立つことはまず不可能で。。。

ハイタカはテナーとは夫婦になり、3人は家族のように暮らし始めます。

 

その後また世界では不思議なことが起こり、原作の物語は「ゲド戦Ⅴ巻 アースシーの風」でラストを迎えます。

なお、「アースシーの風」の中心人物は、アレンとテルー、テナーです。

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テルーが最後にどうなるか、そして、テルーの正体などは別の記事にまとめてあります。

興味がある方はご覧ください^^

 

映画と原作の結末では、かなりの違いがあることがお分かりになるかと思います。

「ゲド戦記」はかなり深く、長いファンタジーです。

「まことの名」や「世界の均衡」について深く知りたい方は、全巻を読んだ方がいいかもしれません。

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まとめ

ゲド戦記の映画と原作では、登場人物の設定から始まり、影とのたたかいや、クモとのかかわり、結末にもかなりの違いがあり、まったく別の話のように思えるくらいでした。

原作の「Ⅰ巻 影とのたたかい」「Ⅲ巻 さいはての島へ」「Ⅳ巻 帰還」が、映画ゲド戦記とかかわりの大きい巻になります。

これらの巻を読めば、よりゲド戦記が理解できると思います^^

 

 

 

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