映画「鹿の王 ユナと約束の旅」と原作小説「鹿の王」の違いについて書きたいと思います。
2022年2月4日から、映画「鹿の王 ユナと約束の旅」が公開になりました!
作者上橋菜穂子、そして鹿の王大ファンの私としては、とても気になるこの映画。
「原作と違うので見ないで行った方がかえって面白いかも」という意見もあるようで・・・
映画と原作の違いを調べていくと、「確かに!」と思う部分が多々あります。
本記事では、「鹿の王」の映画と原作の違いについて書いていきたいと思います。
鹿の王の映画と原作の違い|ストーリーはどの程度似ているのか?
鹿の王の映画と原作のストーリーの違い
✅映画のストーリーは原作とほとんど違い、ほぼオリジナルと考えて良い。
✅原作では、「ヴァンとユナの旅」と「ホッサルのミッァルの解明」が重なることなく、2本立てで場面を変えながら描かれている。ヴァンとホッサルが出会うのは、中盤も過ぎてから。
✅映画では、ヴァンとユナとホッサルがほぼ初めで出会い、旅することになる。
鹿の王映画のストーリーは、原作とかなり離れたオリジナルです。
映画中盤から最後まではほぼオリジナルなので、原作を読まなくても楽しめるストーリーになっています。
ストーリーの違いは細かいところではほんとに色々あるんですが・・・
まず原作ではユナは黒狼にはさらわれません。
いや、さらわれるのはさらわれるんですけど、あんな「大軍の黒狼に加えられ・・・」という劇的なシーンではないです。
この部分、映画では重要なシーン。
この部分を目立つように映画で表現した!というところに、原作と映画の意図するところの違いがあると私は思っています。
また原作では、「ヴァンの物語」と「ホッサルの物語」は、交わることなくかわるがわる描かれます。
原作の中盤も過ぎて、ヴァンとホッサルは出会い、物語が重なります。
一方で、映画では、ヴァンとユナ、そして、ホッサルは比較的早く出会います。
初めから行動をともにし、いっしょになって共通の目的に向かって進んでいく感じです。
これ以外にも、原作と映画の違いが本当にたくさんあるんですが・・・
この違いは、物語の中心を何にしているか、で2つが全然違うからだと思います。
原作の鹿の王のストーリーとしては、
✅命のあり方
✅医学と宗教の対立
✅医療と病気のかかわり
✅支配国と、支配される民との対立やその駆け引き
などのドラマもストーリーの中心にあり、その中で黒狼にかまれたヴァンがどのような選択をするのか
ということが、物語の芯のようなところにあります。
一方で、映画のストーリーは、背景にある国と国とのどろどろした部分や、医学と疫病のことなんかももちろんでてきますが、それはあくまで背景であって、
✅ヴァンがユナを取り戻す
ということが中心。
とても分かりやすいです。
原作のストーリーの説明のところに、私は「ユナ」を入れていません。
「あれ、ユナは?」と思った方もいらっしゃったと思います。
ものすごい正直に書くとしたら、原作でのユナってそこまでストーリーの前面に出てきているわけではないんですよね。
ユナは重要な役ではあるのですが・・・!!
何もなくなってしまったヴァンの生きる支えになっていきます。
ヴァンが迷った時困った時の道しるべにもなります。
ユナがいなければヴァンができなかったこともあります。
でも、ストーリーを動かすに中心にいるかと言われると、なかなかそうと言えない部分も大きいかな、と。
それだけ原作は、医学や医療、人間同士の思惑なんかが入り混じった数々のドラマがあり、それがもっと前面に出てきて、なかなか複雑です。
それもそのはず、鹿の王は、原作ハードカバーでは、上・下巻、文庫本では4冊ある超大作なので。
映画2時間の枠に収めるため、また、なるべく話を分かりやすく(子供にも!)するため、ユナの奪還に軸をおいたのは、ある意味当然なのかな、と思います。
なので、映画は、原作よりはかなり分かりやすい(でも別物の)ストーリーになっています。
そして、原作を読んでみると正直、映画のストーリーは私は物足りないなあ、と感じています。
特に描かれていないと感じるのが、国どうしの関係。
鹿の王の原作では、「アカファ」「ツォル」「オタワル」などの国が出てきますが、その関係は複雑で危ういもの。
ホッサルやマコウカンは、そんな国と国との関係にゆさぶられながら生きている国の人です。
自分の生き方やあり方についても複雑な思いを抱えています。
映画では、国と国の描かれ方が少なくなってしまった分、事情もわかりづらく、ホッサルやマコウカンの描き方もちょっと足りないかなあ、となってしまった感じです。
その映画の背景にあるものをより深く知ってみたい!という方はぜひ原作を。
2015年の本屋大賞になります。
映画の内容を気にする方の違う興味には、映画の鹿の王はもののけ姫に似ているのでは?という意見もあるようです。
このあたりのことはまた違う記事にまとめてありますので、よろしければご覧くださいね^^
鹿の王の映画と原作の違いにはキャラクターの登場にも
鹿の王の映画と原作のキャラクターの違い
✅原作では重要な役割をもっている「ミラル」が出てこない
これは映画の公式ページを見てびっくりしたんですが、ホッサルのパートナー、ミラルが出てこない!
この「ミラル」ですが、鹿の王原作では、ホッサルの長年のパートナーであり、もう「妻、家族」といったキャラクターです。
ミラルも優秀な医術師。
原作では黒狼病(ミッツァル)の原因の解明、そして、その薬を作るための探求に、大いにその実力を発揮します。
心理面でのホッサルの支えともなる女性で、文庫本4巻のすべてに登場しますので、原作の主要人物なんです。
この、ミラルが出てこないことについて考えたのですが・・・
先ほども書きましたが、映画鹿の王では、「ミッツァルの解明」についてはそれほど軸がおかれていないんですよね。
いや、出てくることは出てくるんですが。
原作では、
◆ミッツァルは何が運んでくるのか?
◆運ばれた病原菌はどうやって人間に染るのか?
◆ミッツァルの薬を何から作ればいいのか?
と、ヴァンの旅と並行して、ミッツァルの解明もストーリーの大きな大きな柱。
ミッツァル、そして、医学(主に免疫学)に対するホッサルとミラルの足跡が事細かに描かれますから。
でも、映画鹿の王では、背景程度のミッツァルの解明は出てくるものの、それはストーリーの中心ではない。
なので、ミラルははずされちゃったのかな、と思います(笑
また、ホッサルにとって「医学」の先生として大切な役割もつ、ホッサルの祖父リムエッルも名前程度しか出てこないですよね。
これを考えると、「医学」の部分がストーリーから重要でなくなった分、それにかかわるキャラクターも出てこないようになってしまったのではと思っています。
映画鹿の王のホッサルは原作とはかなり違うキャラ
鹿の王ホッサルのキャラの違い
✅映画のホッサルはイケメンすぎる
鹿の王の中では、映画でも原作でも主要なキャラクターですが、映画のホッサルはイケメンすぎます(笑
映画鹿の王が封切になった時、「もう・・・超かっこよすぎる・・」とTwitterでざわざわしたくらいです。
ホッサルについては、その持っている背景なんかも下の記事にまとめてみました。
かっこいいのでもう一度会いたいとう人向けにも動画もあります(笑)
原作のホッサルに「イケメン」らしい描写ってないんです。
もしホッサルがイケメンだったら、小説は文字だけでそのことを伝えなければいけませんので、
●眉目秀麗
●端正な顔立ち
●道行く女性がちらちらと視線を投げかける
などの表現があるはずですから。
原作のホッサルから分かることは
✅10代のころから非常に優秀な医術師である
✅あまり体が丈夫ではない
✅若いが、奇妙な人、恐ろしい人という表現がある
どちらかというと、ものすごく頭の良い、ちょっと皮肉屋な気難しい人、というイメージです。
(ミラルやマコウカンといる時はもっとくだけた様子も見せていますが。)
ですが、映画では、ちょっとおまぬけな姿や情けない姿を見せ・・・
しかもそれを銀髪の線の細いイケメンがやるものだから、可愛く見えてしまうという、なんだかホッサルがアイドル化しているようなキャラになっているように思います(笑)
パートナーのミラルが出てこないからこそ、ここまでホッサルのキャラを変えてしまったのかもしれませんね。
まとめ
鹿の王の映画と原作の違いについてまとめました。
ストーリーの違いについては、映画と原作は全く別物。
鹿の王原作は、人間模様や医学と宗教なんかがが複雑にからみあったドラマを織りなしており、そこに並行してヴァンとユナの旅が描かれます。
一方、原作が、国と国との背景や医学などはあくまで背景。
ヴァンによるユナの救出がストーリーのメインで、その分分かりやすくなっています。
キャラクターは、原作では「医学」「ミッツァル」の解明という部分で重要な役を担うミラルとリムエッルが、映画では登場しません。
ミッツァルの解明は映画では背景になってしまっているので、仕方がないことだといえます。
さらに、ホッサルの性格が原作と映画でかなり違うのも面白い点の一つです。
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