ゲド戦記クモの正体を原作から説明!その過去やハイタカとの関係も

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漫画・アニメ

ゲド戦記での悪役である「クモ」。

男か女かも分かりづらい謎めいた人物です。

 

ハイタカにうらみや因縁があるようなことは映画からなんとなく分かりますが、「どうしてねたんでいるのか」「どんな魔法使いなのか」などは、映画で明らかにされていません。

 

本記事では、そんな「クモ」の正体を原作のゲド戦記から説明します。

クモの過去やハイタカとどんな関係があったのか、そのあたりも伝えていきます。

 

なお、ジブリ映画「ゲド戦記」は、原作ル=グウィンの「ゲド戦記」とかなり設定が違っています。

原作の設定がこんなところに生かされているんだな、と思っていただければ幸いです。

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ゲド戦記クモの正体は?性別は?原作から。

原作において、クモは、開けてはならない「生」と「死」の間にある扉をあけた魔法使いです。

自分の意志で「生」と「死」の間を自由に行き来し、生と死を自由に操れる。

そんな自分を生死両方に君臨できる、「両界の王」としています。

そして、実はもう死んでいる人物です。

 

映画では、クモの手下のウサギが「(クモ様は)生死両界の王になられるお方だ!」と言っています。

ですので、映画では、「まだ生死両界の王になっていない(=「生」と「死」の間にある扉をあけていない)」ようです。

いずれしても、死と生の間を自由に行き来すること、永遠の生を望む人物であることに変わりはありません。

 

なお、ハイタカの生きるアースシーでは、魔法使いは男性しかなれません。

映画ではクモは非常に中性的な人物ですが、原作にもとづくならば、クモは男性です。

 

ゲドたちの生きる「アースシー」では、魔法使いが不死への道を見つけること、死を操ることは禁忌。

生と死は合わせ鏡のようなものであり、境はあっても分けることができないものです。

生があるから、死がある。

不死ならば生もない、それがあたりまえの命のバランスであり、そのことわりを崩すことは決して許されないことでした。

 

しかし、クモは原作では生と死の境を、自身の見つけた魔法でこじあけ、そのあたりまえを崩しました。

(映画ではこじあけようとしています。)

大きな大きなバランス(均衡)を崩した世界は、ところどころでほころびが出始めます。

 

竜が共食いをし・・・

ヒツジが子を産まなくなり、赤ちゃんがどんどんと死んでいき・・・

魔法の力が弱まり、世界がどんどん不安定になっていく・・・

 

そんな世界のようすを探り、問題を解決するために、大賢人ハイタカは旅に出たのです。

 

なお、クモは、原作では、生死の両方を手にしたかつてない魔法使いだ、と自分で言っているものの、ハイタカにこう言われます。

そなたは死を失い、死を失うことで同時に生を手放した。

~ル=グゥィン, ゲド戦記Ⅲ巻「さいはての島へ」,p323,岩波書店~

 

そなたはただで何もかも放棄してしまった。

それで、今、そなたはそのあとのがらんどうを埋めようと、やっきになって、世界を、自分がなくした光や命を、自分のところに引き寄せようとしているのだ。

~ル=グゥィン, ゲド戦記Ⅲ巻「さいはての島へ」,p324,岩波書店~

不死をのぞんだクモは、結局「空っぽ」になってしまいます。

ジブリ映画の最後で、クモの両目がぽっかりとあいた大きな穴になってしまうようすは、そのことを象徴しているようにも思います。

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ゲド戦記クモの過去は?ハイタカとの関係は?原作より

クモは過去も大魔法使いでしたが、お金でその人が望んだ死者をあの世から呼び出すことをしており、財をなしていました。

それはハイタカが大賢人になる前のことです。

 

クモは、大昔に亡くなった大賢人までをまるでペットをよぶかのように気軽に呼び寄せていました。

そんなクモにハイタカは猛烈に腹をたてたのです。

 

ハイタカはクモに「俺と一緒にあちらの国(黄泉の国)へ行ってみないか」と誘い、嫌がるクモを強引に黄泉の国までひっぱっていきました。

 

クモはあれほど死者を気軽に呼び寄せていたのにも関わらず、実は自分の死は誰よりも恐れていました。

 

恐怖に押しつぶされそうになって泣いてわめくクモ。

そんなクモを、無理やり黄泉の国へ連れて行ったハイタカは、のちにこう言っています。

わしは、その時、自分のしていることが間違っていると気づくべきだったんだ。

だが、わしは、怒りと虚栄心のとりこになっていた。

向こうがあんまり強かったので、自分の方がもっと強いのだと、思い知らせてやりたかった。

~ル=グゥィン, ゲド戦記Ⅲ巻「さいはての島へ」,p138-139,岩波書店~

ハイタカは黄泉の国へとクモと一緒に行き、そして帰ってきます。

この後、クモはこの魔法は二度と使わない、と土下座までして誓いました。

しかし、クモが謝ったのは表面だけのこと。

実際には、ハイタカへの強い憎しみが生まれたのです。

 

映画の「ゲド戦記」で、クモはこうつぶやきます。

「再会をよろこぼうぞ・・・ハイタカ・・・・」

 

因縁の相手に復讐をたくらむクモのせりふだと考えられます。

 

なお、ハイタカの正体については、他の記事に詳しくまとめてあります。

興味のある方はご覧ください^^

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ゲド戦記クモの最後は?原作から

映画では、竜になったテルーの吐く炎に焼かれてしまうクモ。

原作では、その最後は異なります。

 

テルーの正体については、別記事で詳しくまとめてあります。

 

クモにより、生と死の間の扉がすでに開いてしまった世界。

黄泉の国でハイタカは、自分のもてるすべての力をもって、その扉を閉じようとします。

魔力を使い果たし、今にも力尽きそうなハイタカにクモが襲いかかります。

ハイタカに連れ従っていたアレンは、持っていた剣でクモに切りかかりますが、もともとクモは死んでいます。

深く傷つけても、黒い血を吹き出すばかりで立ち上がり続けるのです。

 

戦いのさ中に、ハイタカは扉を閉じることに成功し、クモを「解放」します。

ハイタカに耳元で何事かささやかれたクモは、顔にどんな感情もうかべず、なにごともなかったように死の川を下っていきました・・・

 

生への限りない欲望も、自分ばかりの考えもすべて解き放ち、死へと静かに向かっていくクモのすがたが印象的でした。

 

このように、映画と原作では、かなりストーリーが違います。

ゲド戦記の映画と原作の違いを詳しく知りたい方は、別記事にありますのでぜひどうぞ^^

 

原作では、ハイタカとアレンの旅、そしてクモやウサギは、「ゲド戦記Ⅲ巻 さいはての島へ」で描かれています。

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まとめ

ゲド戦記のクモの正体は、原作では生と死の間を自由に行き来し、「永遠の生」を願う魔法使いです。

映画では、まだ「生と死を自由に行き来できるところ」までは達していません。

 

過去にクモは、魔法使いにあるまじきひどいことでお金を稼ぎ、ハイタカにこらしめられました。

そのことを根に持ち、ハイタカに復讐しようと思っています。

映画でみえる「恨み」はここからきています。

 

原作のクモは、最後ハイタカにすべてのことから解き放たれ、死へと向かいます。

映画とはずいぶん違うとこところですね^^

映画のクモは最後まで命に執着していましたから・・・

 

原作とは違うところも多い、クモの話!

クモとハイタカの話は、原作「ゲド戦記Ⅲ巻 さいはての島へ」を読むとよくわかります^^

 

 

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