「かっこいい」というより、「美しい」と称され23才でこの世を去った、俳優リバー・フェニックス。
早熟でどこか反抗的、そしてはかなげなその姿は、今でもファンの心をつかんでいます。
リバー・フェニックスが亡くなった原因は「薬物多重投与」でした。
当時ハリウッドでは、リバー・フェニックスはピュアでクリーンなイメージ。
ですので、周囲はとても驚きました。
なにか悩みでもあったのかな?
華やかな世界はそういうものが出回っているとも聞くけれど・・・
一般的に、悩みやストレスが強い人が薬に手をだすイメージですね。
何から逃げたかったのか・・・
過去の彼から推測できそうです。
本記事では、リバー・フェニックスの生い立ちや過去を、エピソードと共にお届けします。
リバー・フェニックスの生い立ち【幼少期の環境】
リバー・フェニックスの生い立ちは、簡潔に言って「過酷な」ものでした。
リバー・フェニックスは、父ジョン・リー・ボトムと母アイリン・シャローンの間に生まれた長男です。
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(↑ジョン・リー・ボトムとアイリン・シャローンと5人の子供たちの今と昔)
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(↑母アイリン・シャローンさんと弟のホアキン・フェニックス)
ジョンとアイリンは、若いころは極貧のヒッピーでした。
ヒッピーとは、1960年代、すでにある社会の規範や常識、価値観などから離れることを目指した人たちのことです。
ご両親は、ヒッピーのコミューンをあちらこちらと移り住みます。
そして、宗教集団「神の子供たち」(現在は、ファミリー・インターナショナル)入信し、フロリダ、メキシコ、プエルトリコ、最後にヴェネズエラへと移り住みます。
リバーや他の弟妹もそこでの生活をすることになるのです。
リバーがこの「神の子供たち」にいたのは、1972年から1978年のこと。
リバー・フェニックスは1970年生まれですので、2歳から8歳までの、子供としてはまさになんでも吸収して学ぶその第一の時期に、教団内で過ごしたことになります。
リバー・フェニックスの生い立ち【教団内で】
教団の教義は、キリスト教原理主義とフリーセックスを混ぜあわせたもの。
この教義には、親子も関係なく、教団内の幼い子供たちもしたがわなければいけませんでした。
教団の詳しいことは述べませんが、かなりおぞましい教えであると、私個人としては感じます。
リバー・フェニックスは、雑誌『Details』や『Vanity Fair』で、4歳で性的虐待を受けたことを告白しています。
もっとも、2019年に、弟のホアキン・フェニックスが「Vanity Fair」で、「自分たちの両親はそれを見過ごすほど怠慢ではない」と発言。
リヴァーの発言は冗談だったと述べています。
しかし教団内でそのようなことがあげっぴろに行われていたという、他の信者からの数々の告発があります。
リバー・フェニックスが幸運にもそのような行為を受けていなかったとしても、一家がその環境に身をおいていたことは、間違いがありません。
また、この教団の教えから、リバー・フェニックスは一般的な初等教育を受けられませんでした。
余談ではありますが、リバー・フェニックスには読字障害(ディスクレシア)もありました。
のちに読み書きはできるようになったももの、「読解」が不得意で、俳優という仕事はかなり大変だったことにはちがいありません。
両親が貧しかったことから、幼いころからりんご収穫など肉体労働もしていた、リバー・フェニックス。
ベネズエラでは、道端でギターを弾くなどして、一家の生計を助けていました。
リバー・フェニックスの生い立ち【教団を出て】
教団が大きくなるとともに、指導者がだんだんマスコミ等に出るようになってきた、この「神の子供たち」。
本来の理想とする姿からかけはなれてきたこの姿に、リバー・フェニックスの父は嫌気がさし、それと同時に教団での立場も悪くなっていきます。
一家は教団を離れ、ロサンゼルスのハリウッドを目指します。
もちろん両親はまだ貧乏で、子供たちが路上パフォーマンスなどをして、生計の手助けをしていたようです。
教団内でラジオもテレビも見ず長年過ごした両親は、いわゆる「世間ずれ」をしていました。
ハリウッドの映画会社の門の前で子供たちにギターを弾かせ売り込む。
そして門前ばらいをされる、というような様子でした。
しかし、元女優アイリス・バートンが立ち上げた子供タレント会社に売り込みが成功、リバー・フェニックスが10歳のころ、初めてテレビに出演することになりました。
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(↑1988年の一家の写真。一番背の高いお子さんがリバー・フェニックス。すでにもう映画に出ているころです。)
リバー・フェニックスの生い立ち【ハリウッドで】
リバー・フェニックスを一躍スターダムにのし上げたのは、1986年公開の「スタンド・バイ・ミー」です。
当時リバーは15~16才でしたが、そのルックスや演技で瞬く間に世間の人の目にとまります。
1988年出演の『旅立ちの時』では、アカデミー助演男優賞にノミネートされ、ハリウッドでの人気俳優の地位を、一気にかためていくことになるのです。
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(↑アカデミー助演男優賞にノミネートされた「旅立ちの時」)
The Mosquito Coast (1986)
Peter WeirHarrison Ford, River Phoenix y Helen Mirren pic.twitter.com/PLs7wTMLd7
— Cine asimétrico 🎬 (@cineasimetrico) May 11, 2021
(↑ハリソン・フォードと共演した1986年公開「モスキート・コースト」)
過酷で、世間から隔離されて育ったリバー・フェニックスは、ハリウッドというきらびやかな世界にいながら、厳しい菜食主義者(今でいうヴィーガン)であり、動物愛護家であり、環境保護主義者でありました。
それは、「ハリウッドに入ってのアクセサリー的な主義」ではなく、7歳から行ってきた、筋金入りの生き方です。
ご両親がヒッピーであったことも大きく関係しているのでしょう。
こんエピソードがあります。
リバー・フェニックスの「彼女」のマーサ・プリンプトンが、彼と一緒にレストランで食事をした時、カニを注文しました。
リバー・フェニックスは、かわいそうなカニと理解していもらえない悲しさから、泣いてレストランを後にした、ということです。
体に染みついている生き方であることが、よく分かりますね。
On what would have been his 48th birthday, https://t.co/7x2NMP8M5w is paying homage to #RiverPhoenix through 13 vintage photographs —> https://t.co/y81O9unwfS pic.twitter.com/dbY6GxO3QY
— Vogue.fr (@VogueParis) August 23, 2018
(↑リバー・フェニックスの青年期の美しいポートレート写真)
かつ、リバー・フェニックスは反麻薬活動も行っていました。
そんなリバー・フェニックスが、麻薬のオーバードースで死亡したというニュースは、世間に衝撃を与えたのは、容易に想像ができます。
リバー・フェニックスが有名となった「スタンド・バイ・ミー」ですが、その4人の子役の現在がいまどうなのか?について、写真付きで別記事にまとめています。
興味のある方はぜひどうぞ^^
リバー・フェニックスの死因についての考察
ピュアと表せるほどのリバー・フェニックスが、なぜ「薬物」に手を出したのか?
理由は明らかにされていませんが、何点か考えられることがあります。
・非常に過酷な幼少期を送ったことが、心に闇をかかえる原因となった
・ハリウッドは簡単に薬物を手に入れることができる環境だった
・一家の生計を支えてくことに大きなストレスを抱えていた
様々な要因があると思います。
何にせよ、リバー・フェニックスの生い立ちを知ると、きらびやかな世界で禁欲的な生活を続けながらも逃げ込める場所が欲しかった、という、何かひどいものを心にかかえていたのではないか、と思います。
まとめ
リバー・フェニックスの生い立ちは、両親が非常に貧しく、また、宗教集団に入信したこともあり、非常に過酷なものでした。
貧しさから、小さいころから一家の生計を助けてもいました。
ハリウッドに入ってから、「スタンド・バイ・ミー」を転機に、きらびやかな世界に身を置きますが、幼少期から続く様々なストレスを抱えていた、と考えられます。
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