投資の天才、中江滋樹の資産や財産について調べてみました。
天才的な投資家として知られる中江滋樹。
小学5年生の時に初めて株を購入。
30歳で780億円ものお金を動かしていたものの、投資ジャーナルの件で逮捕されます。
晩年は小さなアパートで独り暮らしをし、最期がは火事でなくなるという、人生の頂点も底も経験した波乱万丈な生涯でした。
財政界にもつながりをもち、巨額な資金を運用した投資家なのは明白。
大きな財産があったのでは?とも目を向けられてもおかしくはない人生です。
そんな、中江滋樹の資産や財産はあったのかどうか?この記事ではお伝えしてきます。
中江滋樹の資産はあったのか?稼いだお金や隠しは財産は?
中江滋樹の資産や財産
✅晩年まったくお金はなく、資産なし
✅中江滋樹は晩年生活保護をうけていた
✅自分の隠し金があると思っていたが(人に預けけていた)、返してもらえなかった
中江滋樹に晩年お金があったとは考えられません。
というのも、中江滋樹は晩年生活保護を受けていたからです。
このことは、中江滋樹の唯一の伝記とも言われている、比嘉満広の「兜町の風雲児 中江滋樹 最後の告白」に書かれています。
生活保護を受けるには数々の条件がありますが、
✅預貯金や土地などの財産を所有していないこと
も重要なポイントとなります。
中江滋樹が投資ジャーナルで巨額の資金を動かしていたのは、20代後半。
その額は数百億の規模でした。
しかし、自分の終の棲家となったのは、東京都葛飾区にある、1Kの小さなアパート。
家賃は4万8千円。
光熱費などの固定費を引いた生活費は、上の「中江滋樹 最後の告白」にこうあります。
家賃と公共料金を差し引くと、残る生活費はせいぜい4~5万円。周に何度かの足のリハビリ、部屋の掃除や片づけをしてもらっているといってたのは、介護サービスのことだったようだ。
~兜町の風雲児 中江滋樹 最後の告白, 「あとがきに代えて」, 比嘉満広, 新潮新書~
中江滋樹の晩年は、本当にお金がなかったことが見てわかります。
そして、こうも言っています。
親もきょうだいも妻までも、さらにはヤクザもみんな僕から金をむしりとっていったよ。
~兜町の風雲児 中江滋樹 最後の告白, 「第6章 金と相場の魔力」, 比嘉満広, 新潮新書~
中江滋樹は、1998年海外に逃亡していますが、これは、ヤクザへの50憶の借金があったといわれているからです、
この時、中江滋樹は1億円だけもって海外にわたっています。
今まで稼いだお金は・・・本の中では書いてありませんでしたが、「日本にいては殺される」と考え渡った海外。
「殺される」と思ったのは、借金が返せないからと思ったからでしょうし、もしお金が残っていたとしてもすべて「いいように」なくなってしまったと考えた方が自然でしょう。
とにもかくにも、中江が海外の逃亡をした時点で、1億円のみの手持ち金になっていました。
海外を転々とした期間は5年間です。
1億円をすべて使ってしまったかはさだかではありませんが、海外を転々としていたことや、帰国後の生活ぶりをみても、その1億円の残りはほtんどなかったと館考えたほうが妥当だと思います。
実は、中江滋樹本人は「日本に隠し資産が残っている」と思っていました。
海外から強制送還されて9年後のこと。
その2012年、中江滋樹は、隠し資産である株券を預けていた「ある人」に、頭を下げて株の売却金を返してほしいとお願いに行っています。
(そのある人は、先ほど書いた「兜町の風雲児 中江滋樹 最後の告白」に記されています。)
中江滋樹にとっては相場師としてやっていくための最後の資金だったようですが、そのお金はかえってくることはありませんでした。
その年、中江滋樹は葛飾区の木造アパートへ引っ越します。
そして、2020年中江滋樹は、その小さなアパートで孤独に亡くなることになるのです。
逮捕、出所を経て、海外逃亡後、中江滋樹はアパートにうつってきた当初は、「相場師」としてやり直したい!という思いがありました。
中江滋樹のアパートには、パソコンのデスクトップが2台。
中江滋樹は各株式の指数をチェックして、市場の動向を予想していたのです。
しかし、資金もない中株ができるはずもなく・・・
稀代の相場師でありながら、小さなアパートに移ってからはその才能を発揮することはありませんでした。
中江滋樹が過去持っていた資産の種類
中江滋樹が持っていた資産の種類
✅現金と株券
✅土地やマンションなど、物で資産をもつことはなかった
中江滋樹は、自分の資産をマンションや土地などの、「有形資産」でもつことはありませんでした。
それは、中江滋樹は「自由人でいたい」という強い意志をもっていたからです。
お金があったからたくさんのことが経験できた。
人生が楽しく豊かだった。
反面人生も狂った。
お金があったからこそ人生を自由にできた。
中江滋樹はそんな思いがありました。
そして、こうも思っていました。
物欲は一切ないんだ。そんなものを持ったら、それに囚われてしまうから。僕は最後まで自由人でいたかったから、物のために縛られたくなかった。
~兜町の風雲児 中江滋樹 最後の告白, 「第6章 金と相場の魔力」, 比嘉満広, 新潮新書~
これだけ稼いでいたのに資産に土地等がないのは驚きですが、中江滋樹は自由だけを満喫したかったというのが、本音だったのだと思います。
(もしかしたら、家族や愛人ために購入した、というのはあるかもしれませんが・・・・!!)
「兜町の風雲児」と呼ばれ、数百億を動かしていたそんな中江滋樹。
資産への考え方も独特だったといえるでしょう。
生い立ちから相場の予測に目覚めるまで、そして詐欺事件での逮捕、出所、海外への逃亡、晩年、突然の死・・・
中江滋樹は言います。
「チャートを読む力、相場を読む力は誰にも負けない。僕の読みは全部当たっている。」
そんな中江滋樹の一生だけでなく、今の時代の株式市場への考え方や、中江の株経験なども、中江滋樹の切り口から書かれているのが、先ほどから引用で触れている本書です。
風雲児の数奇な一生にふれれるだけでなく、中江滋樹がどんな風に市場というものを見ていたのかを知る手助けにもなります。
世界仰天ニュースで取り上げられた中江滋樹。
野性味のあるかっこいい俳優さんが演じられていました。
中江滋樹役の俳優さんの名前やプロフィールはこちらです。
まとめ
中江滋樹の資産や遺産は、晩年、ほとんどなかったと見ていいでしょう。
中江滋樹は死ぬ前は生活保護を受けていました。
お金や株、土地などの資産があれば生活保護の申請は通りません。
このことから、預金も株もなかったことが言えるでしょう。
そして、中江滋樹は自分名義の資産を、土地やマンションなどでもつことばありませんでした。
それは、「ものを持ってしまうととらわれててしまう」「自分は自由人でいたい」という思いがあったからです。
そんな中江滋樹の一生は、「兜町の風雲児 中江滋樹 最後の告白」におさめられています。
コメント